小学校の『道徳』授業が変わる。うそ、どう解く?考え、議論する授業とは?
友だちから好きじゃないプレゼントをもらった。
「うれしい!」と嘘をついたら、友だちは喜んでいた。
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嘘をついてもいい/嘘をついてはいけない
あなたはどう考えますか?
こんなプリントが配られたのはとある小学校の「道徳」の授業。あなたのお子さんも受けるかもしれない新しい「道徳」の授業、ちょっと覗いてみませんか?
この春から道徳は「特別の教科」に
戸田市立戸田第一小学校の4年5組、テレビや新聞で話題になった『答えのない道徳の問題 どう解く?』(ポプラ社)を教材にした授業を見学しました。
2018年春、文科省が掲げる「考え、議論する道徳」への転換を目指して、道徳が小学校で「特別の教科」になったことをご存知でしょうか?
小学3年生の娘がいる筆者ですが、つい先日小学校の懇談会で「今年から通知票にも道徳が加わります」と担任の先生から説明があったばかり。
物語を読んで「主人公の気持ち」を考えたり、モラルやマナーを学んだりする『道徳』と一体何が変わったのか?興味津々で新しい『道徳』の授業を見学してきました。
ウソをついてはいけない、がたった4人!
「今日は“うそ”について考えます。嘘ってついていいのかな?」
担任の先生がそう切り出すと
「ついていい!」
「たまにならいい」
「エイプリルフールならいいけどそれ以外はダメ!」
と口々に話し出す子供たち。
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友だちから好きじゃないプレゼントをもらった。
「うれしい!」と嘘をついたら、友だちは喜んでいた。
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このテーマについて<ウソをついてもいい><ウソをついてはいけない>それぞれの立場に分かれて発表した子供たちが発表した“理由”の一部をご紹介します。
<ウソをついてもいい>の立場の意見
- 友だちを悲しませたくない
- プレゼントをくれただけで嬉しい
- 人が喜ぶウソならついてもいい
- 相手の気持ちを考えているからOK
<ウソをついてはいけない>の立場の意見
- 信用されなくなる
- 嘘がばれたら嫌われちゃう
- ずっとウソをつき続けている方がイヤ
約30人のクラスのほとんどが「ウソをついてもいい」と考える中で「ウソをついてはいけない」と発表したのはたったの4人。
小さい頃から「ウソはついたらいけません」と教えられてきた子どもたちだって、10才にもなると「ウソはついてもいい」と、現実との折り合いがついてきているようです。
「好きじゃないものでもプレゼントしてくれた気持ちが嬉しい」と相手の気持ちを考えて「ウソはついてもいい」と堂々と発表する子供も。
話し合いは進みます。
先生からの「ウソがばれたら友達の気持ちはどう?」という問いかけには、「悲しい!」「怒っちゃう!」と即座に応えていました。
<ウソをついてもいい派>の子供たちは
「ウソをつかれたことに悲しくなる」
「だましたのか~?となる」
「ウソをつかれたら倍悲しい」
「無理をさせてしまったなぁ」
「気に入らないプレゼントをあげちゃってごめんね、という気持ちになる」
「気を遣ってくれてありがとう!となる」
「来年プレゼントをあげるときはインタビューする」
などなど、ちょっと気持ちが揺れ始めたようにも見えました。
ついていいウソ・ついたらダメなウソ、何が違うの?
ウソにも色々な「種類」があることが分かり始めた子供たち。
- 人が悲しくなるウソはダメ、相手が喜ぶウソならいい
- 許せるウソはついてもいい、許せないウソはついたらダメ
- 悪いことを隠すウソはついたらダメ
- 場を和ませるウソはついてもいい
- ウソには限度がある
自分の意見を発表したり、グループで話し合ったりするなかで「好きじゃないプレゼントをもらった」というシーンから離れて「私の場合は~」「こんなことがあったときから」と「自分」に置き換えて考え始めました。
たくさんの意見が出た最後に、担任の先生からは『答えのない道徳の問題 どう解く』に掲載されている詩人谷川俊太郎さんの言葉が紹介されました。
子どもたちにはちょっと難しかったようですが、ここでチャイムが鳴り授業は終了。
子供たちに授業の感想を聞くと「みんなの意見が聞けて面白かった!」「ウソについてこんなに考えたことがなかった」と笑顔で教えてくれました。
ウソついたことある?の質問には「ある~!」と正直な様子がほほえましくもありました。
先生が「答え」を伝えない授業
学校での授業、教科書を開き、プリントが配られるとなんとなく「正解」があるのではないか?と思ってしまいがちなのは、私自身が「正解がある」勉強をしてきたからでしょうか。
正解と不正解がある。点数がつく。成績も付く。
今回の道徳の授業では「答え」はありませんでした。
授業では「ほうほう」「ふう~ん」と子供たちの発言をひたすら受け止めるだけの先生の様子が印象的でした。
良い悪い、正しい正しくない、のジャッジも一切せず、先生がしていたことと言えば意見を黒板に書き留めること、なかなか挙手できない子に発言を促し、たくさんの「意見」を集めること。
実はチャイムが鳴ったとき、何の答えも提示されず、まとめの言葉も無、私は『時間切れ』のように物足りなさを感じたのですが、授業の狙いはそれぞれの価値の重要性に気づくこと、「相互理解」「寛容」がねらいだったとのこと。
子どもたちがこれから生きていく社会では働き方、社会制度、価値観など過去のデータや経験だけを頼りに出来ないことが数多く予想されます。
数年前には当たり前だったことが明日には変わっているかもしれない。
学校で学んだことが社会に出てから正解とはならないかもしれない。
国籍や文化、習慣が異なる人と協力して問題に取り組むシーンも増えるでしょう。
正解がなくても考え抜く力、多様な価値観や意見があることを認める力を育む土壌づくりが、新しい『道徳』の授業で行われようとしています。
大事なのは「安心」と「頻度」
価値観の違う子供たちが先生の居る安心した教室で安心して意見を言い合える、これが学校で行う「考え、議論する道徳」の大きなメリットだと言います。
では学校任せでいいのでしょうか?
今回授業で使われた『答えのない道徳の問題 どう解く?』著者のひとり、山﨑さんは「親子ではなすきっかけになればと思ってこの本を作った」とおっしゃっていました。
親から子へ、モラルやマナーを教えるだけではなく、正解のない答えを一緒に考える、多様性を認め「正解はなくていい」と伝えること、そんな対話を繰り返すことで子供が考える「頻度」を増やすことで、子供たちの多様性の土壌はますます豊かに耕されるはずです。
プール楽しかった?漢字テストは何点だったの?宿題は終わったの?
そんなYes、Noで答えられる問いかけばかりしてしまう日ごろの自分自身に反省しつつも、唐突に「正解がない」質問をすることはなかなか難しくもあります。
そんなとき絵本のように手に取りやすく読みやすい『答えのない道徳の問題 どう解く』が活躍してくれるようです。
様々な意見や著名人からのメッセージを読みながら「私はこう思う」と、まずパパやママから話してみるのも楽しいかもしれません。
正解がない授業が学校で行われている。その事実をまず知ること。
答えがなくても「いい」ということ、考える時間が子どもたちにとって貴重な経験となることを授業見学させてもらい私自身も「考える」時間が出来ました。
普段よりも子供と話す時間が増える夏休み、ぜひ『答えのない道徳の問題 どう解く』をそっと子どもの眼に届く場所に置いて、会話のきっかけを作ってみてはいかがでしょうか?
これからの時代を生き抜く力を育むことを目指して、対話から子どもの本音が引き出せる本『答えのない道徳の問題 どう解く?』(ポプラ社刊)Webサイトではみんなの解答を見ることが出来たり、考えを「言葉」にして書きだすのに活用できるワークシートをダウンロードすることができます。(8月1日より)https://www.poplar.co.jp/pr/doutoku